ウィーンのビスポーク靴工房Mafteiの創業者Alexandru Mafteiが工房で手縫いの作業をする姿
創業者 Alexandru Maftei。手縫いの作業中に

Lucian Maftei — オーストリアのビスポーク靴職人、歩く心地よさから作る一足

公開日: 2026-09-04/最終更新日: 2026-09-04/著者: Masayuki Kaneko

本記事は、The Makers GuildがLucian Maftei本人への直接インタビューで得た一次情報と、公表されている公式な情報をもとに制作しています。

ビスポークにおいて「合う」とは、採寸表の数字が一致すること以上の意味を持ちます。履いた人が靴の存在を忘れ、歩くことそのものが心地よくなる状態です。ウィーンの Lucian Maftei(ルシアン・マフテイ)は、その状態を仕事の目的そのものに据えるビスポーク靴職人です。

工房は、父 Alexandru Maftei(アレクサンドル・マフテイ)が1996年にウィーンに開いた家族経営の店に始まります。ハンドソーンウェルテッド製法の手縫い靴を1,700ユーロから、約2か月で仕立てる——ビスポークの相場からすれば異例の条件です。その条件を成り立たせている家族の分業と、実物の足から離れないという線引きを、本人の言葉でたどります。

歩く心地よさという仕事の軸

Lucian Maftei が靴作りの中心に置くのは、履いた人の歩行の心地よさです。仕事の目的を尋ねられたとき、返ってくる答えは装いの美学よりも先に、足の感覚に向かいます。

「私たちが何より大切にしているのは、お客様に靴のなかでとても心地よく過ごしてもらうこと。歩く体験を高めるためです」

と Lucian Maftei は語ります。この「心地よさ」は、工房では気分の話として扱われません。足を測り、仮の靴で確かめ、本番に進むという具体的な手順に組み込まれた、検証可能な目標です。

仕事の中核は、個人のラスト(木型)から作るビスポークです。履き心地を最優先に置く方針は、複雑な足の形を持つ依頼者への対応にそのまま接続していきます。

Mafteiのピッグスキン製ペニーローファー。バーガンディの銀付き革にシューツリーを収めた一足
ピッグスキンのペニーローファー

自分のサイズの靴がなかった少年時代

この軸の原点は、Lucian Maftei 自身の子ども時代にあります。

「その大切さに気づいたのは子どもの頃です。自分のサイズの靴がないことが多くて、それが心に残りました。いまでも、私の難しい足に合う靴を見つけるのはひと苦労です。だから歩くことを心地よい体験に変えたい。特に、複雑な足の形を持つ人たちのために」

と Lucian Maftei は語ります。合う靴を探す苦労を作り手自身が知っていることが、この工房の前提です。幅や甲、左右差といった事情を抱えた足は、例外としてではなく、仕事の想定内の依頼として迎えられます。

ルーマニアの叔父の工房から始まる系譜

家業の技術は、創業者 Alexandru Maftei が15歳でルーマニアの叔父の工房に入ったところから始まります。修業の入り口は新しい靴を作ることよりも先に、修理の仕事でした。

1988年、Alexandru Maftei はルーマニアからウィーンへ移り住みます。移住した当初はドイツ語を話せず、建設の仕事で暮らしを立てました。その後、ウィーンの老舗 Rudolf Scheer & Söhne に入り、約5年間を過ごします。そして1996年、ウィーンに自らの店と工房を開きました。店を譲った前の持ち主から顧客の紹介を受けたことが、開業初期の土台になっています。

2026年時点で、注文の窓口に立ち、依頼者の足に向き合っているのは息子の Lucian Maftei です。修理から入った初代の技術は、店を継ぐ二代目の手に受け渡されています。

ウィーンのMafteiアトリエ内観。ガラスキャビネットに靴とラストが並ぶ
ウィーンのアトリエ。棚に靴とラストが並ぶ

約2か月の納期を支える家族の分業

注文から納品までの目安は約2か月です。編集部の補足ですが、手縫いのビスポークでは半年から1年の納期を告げられることも珍しくありません。その中でこの約2か月という短さは、この工房の大きな持ち味になっています。

その速さの理由を、Lucian Maftei は体制の側から説明します。

「私たちは家族経営で、靴作りには複数の人間が関わっています」

短い一言ですが、この工房の仕組みを言い当てています。採寸とラスト作り、細部の仕上げはウィーンで行われ、縫製をはじめとする主要な工程は、ルーマニア北東部 Piatra-Neamț 周辺にある家族の工房が担ってきました。ひとりの職人が全工程を順にたどる一人工房と違い、家族の複数の手が同時に動きます。そのどの手も、この分野で長年の経験を積んできたと Lucian Maftei は言い添えます。

2016年時点の生産量は年間およそ300足。ひと組の父子だけでは届かない数字であり、家族という単位が製造の単位でもあることを示しています。

トライアルシューズという確認の工程

本番の靴に取りかかる前に、仮の一足が作られます。

「お客様の足を丁寧に測り、それからトライアルシューズを作ります。本番の靴がきちんと合うことを確かめるためです」

と Lucian Maftei は語ります。ラストは左右それぞれの足に合わせて別々に用意され、トライアルシューズ(仮縫い靴)の試着を経て削り直されます。試着で見られるのは、圧迫の有無、皺の出方、歩いたときの感覚、そして履いたときの見た目です。結果によっては、羽根の形のような設計そのものが作り替えられることもあります。約2か月という短い納期の中でも、この確認の工程は省かれていません。速さは分業から生まれ、適合は仮の一足で守られる——役割がはっきり分かれています。

実物の足と遠隔注文のあいだ

海外からの依頼に応えるため、Lucian Maftei は来店せずにビスポークを注文できる仕組みの開発を、2026年時点で進めています。ただし、その開発がなぜ簡単に進まないのかを、本人は隠しません。

「この仕組みの開発が難しいのは、ふだん使っている採寸データなしで作ることになるからです。写真やデジタルのデータは、誤解を招いたり不正確だったりします。実物の足を見れば、はっきりと分かるのですが」

遠隔で注文できる便利さと、実物の足を見て得られる採寸の確かさ。この2つを天秤にかけたとき、Lucian Maftei は確かさの側を降りない、という判断がここに表れています。写真で代用できると言い切ってしまえば開発は早く終わりますが、複雑な足のための工房が、足を見ずに作る危うさをいちばんよく知っています。

Mafteiのスネークスキン製ダービー。茶の鱗模様が特徴の一足
スネークスキンのダービー

オーストリアの伝統に立つデザイン

デザインの拠り所は、オーストリアの靴作りの伝統です。

「私たちの靴は確かにクラシックなモデルを守っています。正確に言えば、オーストリアの靴作りの伝統を。それでも、新しいモデルを作ることから退きはしませんし、革新にはいつでも開かれています」

と Lucian Maftei は語ります。実際の作品構成もこの言葉のとおりで、黒のホールカット、タッセルローファー、ダービーといった古典の型が中心に据えられています。

その古典の中に、この工房の名を冠した型があります。一枚革から縫い目を見せずに仕立てる One piece は Maftei の看板モデルで、爪先と側面に直線の縫い目を走らせる Modell Alexandru は創業者の名を持ちます。2023年に作られた「Erzherzog Johann」の名を持つモデルは、青のカーフスキンとブラウンのハンティングスエードという対照的な素材で、同じ型が2通りに仕立てられています。型を守ることと、素材と名前で個性を出すこと。この両立が Maftei のデザインの考え方です。

MafteiのモデルErzherzog Johann。ブルーのカーフスキンで仕立てたホールカット、2023年製作
モデル Erzherzog Johann(青カーフ、2023年)
MafteiのモデルErzherzog Johann。ブラウンのハンティングスエードで仕立てた2023年製作の一足
同じ型のハンティングスエード版(2023年)

手縫いの底付けと素材の幅

底付けの基本は、すくい縫いと出し縫いを手で行うハンドソーンウェルテッド製法です。靴のウエストには手打ちの木釘を用い、Zwiegenäht と呼ばれる手縫いの二重縫いにも応じます。工程の要所が手仕事で構成されていることは、約2か月という納期が機械化によって短縮されたものでないことの裏づけでもあります。

素材の幅は広く、作品にはカーフやスエードに加えて、クロコダイル、スネークスキン、ピッグスキンといった革が並びます。古典の型に個性を与えるのは、こうした素材の選択です。2016年時点では、表革をフランスのタンナーから、裏革を英国から調達し、色のおよそ半数を工房内で手染めしていました。既製の色に頼らず自分たちで染めるという選択も、素材を個性の置き場所とする姿勢と地続きです。

工房は修理にも応じます。履き込んだ一足を持ち込める場所が作り手のもとにあることは、長く履くことを前提とするビスポークの、継続性の面での条件を満たしています。

Mafteiの工房で職人がソールを手縫いする出し縫いの工程
ソールの手縫い。出し縫いの工程
Mafteiのブルーのクロコダイル製タッセルローファー。工房の道具に囲まれた2026年製作の一足
クロコダイルのタッセルローファー(2026年)

1,700ユーロから始まる注文の実際

ビスポークの価格は1,700ユーロから、納期は約2か月が目安です。注文の基本は、ウィーンの店舗で足を測ってもらうことから始まります。

価格は段階を踏んで改定されてきました。2016年時点でおよそ1,000ユーロ、2024年時点で本体1,400ユーロに初回のラスト代200ユーロ、2026年時点で1,700ユーロから、と歩みを刻んできました。

ウィーンまで行けない場合には、トランクショーという選択肢があります。2026年には Copenhagen、Hamburg、Berlin、Frankfurt での開催が予定されており、父子で各都市を回って採寸と受注に応じてきました。さらに遠い国からの依頼に向けては、前述の遠隔注文の仕組みが開発の途上にあります。完成を待つあいだも、実物の足を見るという原則の内側で進められている取り組みです。

Mafteiのフルブローグ仕様タッセルローファー、2026年製作
フルブローグのタッセルローファー(2026年)
Mafteiのツートーンのダービーブーツ、2025年製作。茶とベージュのフルブローグ仕様
ツートーンのダービーブーツ(2025年)

約2か月という時間は、速さを競うための数字ではありません。家族が工程を分け持ち、左右別のラストとトライアルシューズで適合を確かめるという手順を守ったうえで出せる時間です。ウィーンで足を測ったその日から約2か月後、あなたの足のためだけに削られたラストの上で作られた一足が届きます。

工房情報

MAFTEI(Maftei Mass-Schuhe)

所在地:ウィーン, オーストリア

受注:ビスポーク(ウィーン店舗・欧州各都市のトランクショー。遠隔注文の仕組みは2026年時点で開発中)

価格帯:ビスポーク 1,700ユーロ〜

製作期間:約2か月

ウェブサイト:maftei.com

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